―2―

「いや……殺しはしない」

 私がじっと見ている爪をすっと後ろ手に組んで隠してから、魔獣はそう言った。

「どうして? 命令は絶対なんでしょう?」

「そう、絶対だ……」

 魔獣から漂う柔かな物腰に少なからず親しみを寄せていた私は、凄味のきいたその言い方に体をこわばらせた。

「だが、私は、猊下より『殺せ』と仰せつかっただけで、『すぐに、殺せ』と、命を受けたわけではない……。つまり、手にかけるのは、今でなくてもよいということだ……」

「……それで? 今でなければ、いつ殺すのというの……?」

 冷めた言い方になった。

「そう冷たくあしらうものではない。今殺さないということは、このまま殺さないという希望的観測につながることもあるではないか……」

 魔獣の話は、私を惑わせる。いけないとは思いながら、どこかで魔獣を信じてしまいそうな気もちが動いている。

「いいかげんなことを言わないで。そんな気もないくせに……」

「ないと、なぜ決めつける?」

 赤い瞳が私をじっとうかがっている。

「やめて、期待させるようなことは……」

「期待…ね? ほら、君もやはり生きていたかったのだろう? 殺されてもいいだなどと強がりを言ったわりにはな……」

 上目づかいに魔獣を見上げる。

「……楽しい? 私を陥れて……」

「ふっ…私は、君の本心を引き出しただけだ……それを、陥れたなどとは人聞きの悪い。……それより、そこのワインを、私にも飲ませてもらえないだろうか?」

 魔獣が窓辺に置きっぱなしのワインボトルをあごでしゃくる。

 わざわざ応じてやることなんてないのに、なぜか私はボトルを取りにいき、魔獣にグラスまで手渡して赤ワインをついでいた。

「では、私たちの出会いに乾杯」

 魔獣がその容貌には不釣り合いな台詞を吐いて、グラスを私の目の前に掲げた。決して弱くはないそのワインを、魔獣は一息で飲み干した。

「おいしかった……ワインなど口にするのは久しぶりな気がするな……」

「……久しぶりって、どれくらい?」

 魔獣の口からもれた言葉に興味を持った。

 だが、「さぁ…な」と、魔獣は私の質問をあっさりとかわして、代わりにこう言ってきた。

「ワインも飲んだことだし、そろそろ休みたいんだが」

「休むって……どこで?」

「無論、ここでに決まっている。私は、ここでおまえと共に暮らすことに決めた」

「決めたって……なんのために……」

「それは、もちろんおまえを殺す機会をうかがうために……」

 魔獣が本気とも冗談ともつかない言い方をして、牙をカチリと鳴らした。

「そう……なら、お好きなように。この館には私以外に人はいないから、どこでも気に入った空室を使うといいわ……」

 魔獣が、絶対に私に罠を仕かけてこないとは限らない。だけど、いっしょに暮らすことを申し出てくれたのを、今の私には断ることなどできなかった。ひとりぼっちの孤独な時間は淋しすぎた。たとえそれが罠でも、私には再び1人になる方を選び取ることはできなかった。それに冷淡な言い方はしたが、私はどこかで魔獣にいてほしいとも思っていた……。

 

  

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