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……オルゴールが鳴っている。私を、安らかな眠りに誘うあの音色……あの音は、確かにあの時も鳴っていた……。あの時も……母が眠っている私を見にきたあの時にも……。 

確かに……。

 あの時……母が、眠る私の元を訪れたあの時、私が眠ったのを見届けて乳母が自室へと戻り、入れ代わりに母が訪れたあの夜……実は私はまだ眠りについたばかりで、うつろながら扉をあけ入ってくる母の気配を感じ取っていた……。

 

「……よく眠って、なんて愛らしい……それなのに、私の手には余るようなことを言って……坊や、ごめんさい……」

 母のやわらかな手が私の額にかかる髪をそっとなで上げた時、私は母に自分が寝ついてはいないことを知らせようと目をあけた。

「…あっ、起こしてしまったの? 許して、坊や……あなたには私などいらないだなんて……私、どうかしていたのね……本当に許して、坊や……」

母が、潤んだ目で私の瞳をじっと見つめた。

「なんて美しい瞳……こんな綺麗な瞳が恐ろしいものであるわけも……こんな綺麗な、美しく蒼い……ブルーアイズが……」

 『ブルーアイズ』――それは私の底に封じ込められた記憶の扉をひらくキーワード……「ブルーアイズ……坊や、私の子……愛してるわ……」

 母が、私の体を抱きしめる。母の胸に抱かれると、とてもいい匂いがして、私はひくひくと鼻を鳴らした。いい匂い……ひくつく鼻のすぐわきに、母の白い首筋があった。私の記憶の中枢を刺激するこの匂い……「血…が……」この時初めて、私は声を出したように思う……。

「えっ…今、声を…」

「血…を…」

「えっ…ち…って…」

 母の首筋を走る細い血管が、目の前でドクン…と脈を打った。同時に、得体の知れない欲望が体の内からわき上がった。だがなぜ、あの時、私はそれをおさえられなかったのか……。

 あの時、幼かった私は我慢しきれずに、意地汚くも欲望のままに咽まで鳴らし、そして……。

あろうことか、母の首筋へ牙を立てたのだ……。

「痛っ…何を…坊や…」

母の手が恐る恐る私の顔を引き離す。私の口からはきっと、母の首から吸い立てた血がたれていたにちがいない。

「血って……まさか……。まさか…私の血を吸って…………」

母は小刻みに震える手で私の体をつき飛ばして、

「きゃーーーー――――……」

ありったけの悲鳴をあげた。

 悲鳴を聞きつけ、乳母と執事が部屋へ駆け込んできた。

「奥様! どうかなさいましたか!?」

「奥様? 奥様っ!」

 口々に叫ぶ2人よりもさらにひときわ高い声で、母は「私を……、私をだましていたのね……っ! そろってみんなで……坊やまで……! 坊やまでが……私を……私を……っ!!」

「奥様! だましてとは? そのようなことは決して……」

 なだめようとする執事に、よけいに母は神経を高ぶらせ、「もうたくさんっ! たくさんよっ!」とわめき散らして、あとは乳母の言葉も耳に入らない程にぶつぶつとわけのわからないことを口にしだした。

「奥様…どうかお気をお鎮めになって…」

 執事が母をどうにか黙らせようと近づいた時だった。母は、私の枕の下に魔除けだと忍ばせていた銀製のナイフを抜き取り、振りかざした。

「お…奥様…、おやめください…そのような…」

「黙って……殺されたくなければ、あの人のところへ案内するのよ……」

「し…しかし、それは……伯爵様の寝室へ奥様自らが出向くことは禁止と……」

 母は言う執事の腕を後ろ手にねじり上げ、乳母のわき腹へナイフをつきつけた。

「行きなさい……でなければ、刺すわ……」

 母に追い立てられ2人があきらめたように歩き出す。

 

 

 置き去りにされた私は体を震わせていた。

恐かった……初めて見た母の怖い顔だった。ただ恐くてたまらなくて、それが自分のしでかしたしわざによるものなのだとは、幼いゆえの浅はかさで微塵も思ってはいなかった。「母様は、どこに行ったんだろう……」恐さに勝るとも劣らず好奇心があった。でも恐さをまぎらわすようなものがせめてなくては、私は足がすくんでいて母のあとを追っていけそうにもなかった。私は、部屋を見まわし、そして見つけた。

 あのオルゴールを……私を安らかにしてくれるあの木彫りのオルゴールを……。

 私はオルゴールを胸に抱き、母たちのあとをたどった……。

 母の首筋から流れ出た血の匂いが甘く香って私を導いていた。誘われるように私は階段をいくつも降り地下室へと向かった。

「……やっぱり……」

 落胆した母の声が聞こえた。

 私は物陰からそっと、地下室の奥をのぞいた。

 薄暗い地下室に母と、それに執事と乳母が立ちすくんでいるのが見え、その足元には大きな棺が横たわっていた。

「……起こしなさい……」

 母の命令口調におずおずと執事がひざまずき、棺のふたを引きあけた。

「うん…何事だ…」

 父のうめくような声がした。

「伯爵様…申しわけありません…奥様に私どもの正体がばれて……」

 執事の耳打ちする声、続いてあがる「なんだと……」信じられないという父の声、それに覆いかぶさる「あなたが、ヴァンパイアだったなんてっ!」母の甲高い声……。

 私の目前で、もはや最後の頼みの綱も切られ狂気に翻弄される母は、手にしたナイフをやみくもに振りまわしていた。

「やめろ…やめるんだ…カミラ!」

「いやっ…あなたを、殺すわ!」

 父と母の声が入り混じって聞こえる。

「奥様、おやめください…どうかっ! どうか…うっ…」

乳母が中へ割って入ろうとし、最初に胸へナイフをつき立てられた。

 密室に広がる血なまぐさに、母は我をも忘れたかのように、逃げまどう執事までも執拗に追いかけまわし手にかけた。

 そして母は、ついにまた父の元へと戻ってきた。

 棺の中へ身じろぎさえせずに立つ父に向かい合い、母はじっと見つめた。それがどれくらいの間だったか……哀しげな、それでいて慈しむような眼差しで見つめたまま、母は一言も口にすることなく、黙って父の心臓へ銀のナイフをつき入れた。

「カミラ……私はヴァンパイアだが……だがおまえも……おまえも、私の血を受け入れ私の子をもうけた時から、すでに……」

 倒れていく父がもらした言葉に、

「いやぁーーーー」

母は悲鳴をあげ、自らの命を断とうとして首筋をナイフで刺し貫いた。

止める間もなかった。

 母の白い首からまっ赤な血しぶきが噴き出した。

 私の手から、オルゴールが音をたてて落下した。

 母はこちらに目をやり、私を見つけるとゆらゆらと力なく手招きをした。

 私は、父に折り重なるように横たわる母の元へ近寄っていった。その耳には、落ちた拍子にあいてしまったオルゴールから流れ出す音色が聞こえていた。

「坊や……もっとこっちへ……」

 母は体を重たげに起こすと、腕をまわし私を抱き寄せてきた。ぬるぬるとした血が、私の体にも付着した。

「坊や……綺麗な蒼い瞳……もっとよく見せて……」

 母が血に濡れた手で私の髪をしきりにかき上げる。

「坊や……あなただけを…遺すことを許して……私には、あなたは、殺せない……坊や……許して、罪深い母様を…父様を……許…して……坊…や……」

 私を抱いていた母の手がはずれる。

「…母様…」

離れていく手を取ると、「初め…て…呼んで…くれたの…ね…」母は最期にうっすらと微笑んだ……。

 

   

 

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