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どこかで……どこか、遥か遠くの方で何か音が……音が、途切れ途切れに鳴っている……。あれは……いつか聞いた旋律……どこでいつのことだったか……。

 どこかで、オルゴールの音が鳴っている……どこかで……遥か遠い記憶の底のような中で……。

「…ブルー…アイズ……ブルーアイズ……」

誰かが、私を呼んでいる……でも、私はもう……。

……薄れていく意識の中で、オルゴールが懐かしい旋律を奏でている……。

 

縦長の卓上に置かれた三つ又の燭台に、淡くろうそくの火が灯っている。

「あなた……この子、ミルクも飲まなくて……」

 ろうそくの炎に、妻の顔がほの明るく照らし出されている。

「そうか…なら、ワインでも飲ませてみるか?」

「ワインって……だって、あなた……」

 妻の手に抱かれた息子に近づき、自分の飲んでいたワインを口に含ませる。息子はさもおいしそうにゴクリとのどを鳴らした。

「ふふ…もう1杯ぐらい飲ませるか…」

「あなた、飲むからってあまり飲ませても……」

 妻の言葉にそれ以上飲ませるのはやめて席に戻る。執事にワインをつがせていると、妻が見とがめて「あなたも、ワインばかり飲まれないで、もう少しお食事にも手をつけられた方が……」

心配げに眉をひそめた。

「そう気に病むことなはい。食事もそれなりにしている……」

言いながら、目の前の皿から肉の一切れを取り口に運んだ。あまり火を入れてもいない肉からは血がポタリとしたたり落ちて、銀食器の表面に広がった。

「息子も、気にするな…育てばよいではないか…」

「ええ…でも…」

「おまえも、ワインでも飲んで少し気をまぎらわしたらどうだ?」

 執事に、妻のグラスにワインを注ぐように促す。

「ワインを……だけど、この色……血のようにも見えて、私はあまり好きには……」

「血か…ふん。おまえは、血は嫌いか…?」

「嫌いって…どういう…?」

 妻が、グラスごしにとまどった視線を向ける。

「別に…どうという意味もない。だが血…いやこのワインは、おまえには必要だ」

「ワインが、必要……?」

「奥様、このワインは質も高く産後の疲労したお体にはよいと、伯爵様はそうおっしゃっておられるのです」

 言葉につまっていると、横から執事がもっともらしい解釈をつけて妻の疑問に答えた。

「そう…このワインが…だけど本当に、まるで血が混じってるように赤くて…」

 妻がグラスの中身に口をつけた。

「血の味がする…みたい…」

 執事がクッ…と短い笑いをもらす。咳払いをしその笑い声を覆い隠し、つかんだグラスの中身を飲み干した。

 

 

 オルゴールの音が、遠く近く聞こえてくる……あれは、遥か昔、私の耳元で鳴っていた……遠い遠い……幼かった頃、私の枕元で流れていた、優しげなオルゴールの音……優しげな……母のぬくもりのように……。

 

「眠ってしまったのね……」

 妻がオルゴールのふたをそっと閉じた。

 生まれた息子のためにと妻が買ってきた木彫りのオルゴールだ。息子はこのオルゴールのふたをあけると、今まで泣いていたのがうそのように不思議と泣きやんだ。

「ワインを……おまえも付き合え」

 ベルを鳴らし執事を呼び、グラスを2つ持ってこさせる。つがれたグラスを、妻はあいかわらず浮かない様子で見つめた。

「飲まないのか?」

「いいえ…」

 妻は首を振りグラスを手にしたが、まだ飲みかねているようで、指でしきりにグラスをもてあそんでいた。

「おまえは…………イア、らしくない……」

「えっ…今、なんて?」

「いや、何も。その1杯はせめて飲め」

「ええ…」

 1杯を飲んで妻は少し饒舌になった。

「…あなた、この子はどんな風に育つのかしら? 昼間は寝てばかり、夜になると急に目を覚まして泣き出す……ミルクを与えても飲まないのに、赤ワインを一口でも飲むと泣きやんでまた眠る……」

「赤ワインのせいだけではないだろう……このオルゴールも、息子を眠らせる手助けをしているはずだ」

「オルゴール……」

 妻が、揺りかごの傍らから木箱を取り上げる。ふたをあけたが、ねじが切れているらしくオルゴールから音は出なかった。箱を裏返し妻はきりきりとねじを巻いた。

「このオルゴールの音色は、この子をいい子に育ててくれるかしら……」

「ああ…私にふさわしくよい息子に…」

 オルゴールが静かに音を奏で始める。

 

   

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