ブルーヴァンパイアW「遥か夢を綴るオルゴール」      

―1―

  「今宵は、紅く血のしたたるごとくに美しい月夜……さぞや私にふさわしい子が生まれるにちがいない……」

 あけ放った出窓から、血を溶かし込んだように赤く黒い満月が見える。

「……あなた、そこにいらっしゃいましたの?」

「おまえか…」

 私のそばに寄り添い、妻が同じように月を見上げる。

「起きてきてよいのか?」

 妻のせり出た腹部に目を落とす。

「ええ…それにしても、今夜はやけに月が赤く見えて……」

「ああ、こんな月の夜には、私の跡を継ぐにふさわしい息子が生まれるはずだ」

「もう男の子と決めてらっしゃるのね…」

 月の光に透ける金糸のような髪を揺らし、妻が口元に笑みを浮かべる。

「臨月は過ぎているというのに……まだ産気づかないのか?」

「でも今日は、生まれそうな気がしますわ……きっと」妻が確信めいた言い方をして、「そろそろベッドへ戻ります……あなたも、あとでいらしてくださいね……」腹部を愛おしげにさすった。

 窓ガラスに、薄いドレスの裾を引きずり部屋を出ていく妻の後ろ姿が遠去かった。

「ふっ…クク、私の子よ、我が血の宿命を定められし息子よ…早く生まれてくるがいい…この夜の全てが、おまえの誕生に祝杯をあげようと待ち望んでいる…」

 ワインラックから赤の年代物のボトルを1本引き出し、グラスに注いだ。細い柄を指でつまみもてあそぶと、グラスの縁に澱がうっすらと浮かんだ。縁に舌をあて、ややどす赤くも見える澱をなめ上げた。

 

  

 

――何杯目かのグラスを飲み干した時、妻の寝室の方から甲高い泣き声があがった。

「生まれたか…」

 扉がノックされ部屋の中へ音もなく執事が入ってきて、「伯爵様、お生まれでございます」と、報せた。

「男か…」

 たずねると、年老いた執事はしわの刻まれた顔に笑みを浮かべ「はい…ご嫡男のお誕生…伯爵様、おめでとうございます」静かに頭をたれた。

「そう…か。母体も無事か…」

「はい、大事なく…。奥様とお子様に会いに行かれますか?」

「ああ…」うなづき、飲んでいたワインのボトルを手にする。

「ご祝杯をあげられるのですか? …それでは、グラスは私がお持ちいたしましょう」

グラスを携えた執事が、あいかわらず足音を忍ばせて先を行く。

 扉の前に立ち執事が「奥様、入ってもよろしいでしょうか? 伯爵様をお連れしましたが」声をかけると、「ええ、どうぞ」と妻のものではない声が返ってきた。

 部屋へ入ると、声の主である乳母が取り上げた子を布にくるんでいた。

「奥様は、お休みになられたところです」

 わずかに残るすえた匂いに、胸の奥で血がドクリと泡立つのを感じた。

「血の、匂いがする…」

「……ドラキュラ伯爵様、そのような台詞は奥様の前では……。いくら眠っておられるとは言え、いささか軽率かと……」

 たしなめるような執事の言葉に、思わず妻の顔をのぞく。妻は安らかな寝息をたてていた。

「聞かれてはいないようだ……さ、グラスを貸せ」

「では、私がおつぎしましょう。ボトルを……」渡したボトルに執事は目を走らせ、「今夜はまた、濃い血をお飲みで……」と、口にした。

「口数が多いのではないか…私は長く仕えてくれたおまえに感謝しているが、そのようにしゃべりすぎるのは気に入らぬ…」

「はっ…申しわけございません。今後は言葉を控えますので、どうか私をおそばより遠去けることなどなきよう…」

「わかれば、よい…」

乳母の腕に抱かれた息子の顔を見るため、くるんでいる布をかき分ける。

「おお…なんと蒼い瞳だ。まさに、我が血を受け継ぎし子……この蒼さ瞳こそは我がヴァンパイアの血族である証……素晴らしい……」

 グラスをななめに傾け、中身を息子の口の中へ一滴たらす。グラスの赤ワインには、かなりの量の血が混じっている。我が子は吐き出すこともなくその血の一滴を飲み込んだ。

「ふっ…よく、飲んだ。この月がこの闇が、そして闇を統べるこの私が、我が息子の誕生に祝杯をあげよう……」

 グラスを窓越しに高く掲げると、城を囲む木々が呼応するように、ざわざわと一斉に葉を鳴らした。

「我が息子を腕へ…」

 窓辺に寄り、乳母から抱かされた子を紅い月にかざすと、どこからともなく突風が吹きすさび窓を勢いよくあけ放った。

「…どうやら、闇に棲む魔ものたちも伯爵様のご子息に祝福を贈ってくれているようですわね…」

 乳母が吹き込む風に落ちくぼんだ目を細める。

「う…ん…」

 轟々と顔に吹きつける風に、妻がかすかにうめいた。

「起きたのか…?」

「うん…あ…あなた…」

妻がうっすらと目をあけた。

「風が……」

と、ふいに息子が、腕の中で火がついたように泣き出し、強風と泣き声とでにわかに部屋が騒々しくなった。

「…そろそろ、窓を閉めましょうか」

 執事が、気取られぬよういかにも空気の入れ換えでもしたかのような調子で呟き、さりげなく窓を閉じる。同時に息子は泣きやみ、部屋はまた何事もなかったかのようにしんとした静けさを取り戻した。

「…なんて、強い風…」

 口にする妻に、執事が引きつれたような薄笑いを浮かべた。とがめるつもりで横目ににらむと、執事はあわてたように下を向き笑いを引っ込めた。

「あなた…? どうかして?」

「いや…何も」妻に笑みをつくる。

「…もう、抱いてくれてますのね…」

「ああ…よい子を生んでくれたな…」

「ありがとう…ねぇあなた、その子の顔をよく見せて…」

 寝台へ寄り妻に息子の顔を見せてやる。妻は息子をじっと見つめ、

「まるで2つのサファイアのような瞳……」

呟いた。

「ああ、蒼く美しい瞳だ」

 うなづくと、妻は「いいえ…」と首を振った。

「蒼く……冷たい瞳……」

「…冷たい?」

「ええ…あまりに蒼すぎるうようにも思えて…」

「蒼すぎて…か。だがこの蒼い瞳こそが、まぎれもない私の子である証だ」

「ええ…わかってる。いやなわけじゃなくて……ただサファイアのように蒼くて、蒼くて綺麗で……あまりに綺麗すぎて、ヒトの目じゃないみたいに……」

「綺麗すぎて……青玉そのものにも見えるか?」

「ええ…魅入られてしまいそうなくらいに」

 言いながら妻は、すでに取り込まれたかのように、とろりと虚ろな視線を中空にさまよわせた。

「…もう、休んだ方がいい…疲れただろう」

 妻に毛布をかけ直してやり、息子を乳母の手にあずける。

「ええ……」

妻がまぶたを閉じ、乳母がゆりかごの中へ息子を寝かしつけるのを目の端でとらえながら部屋を出た。

 

 

 

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