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 猊下の居城は広い上に構造が複雑に入り組んでいる。迷うことも多いこの城で、私も最近になってやっと、迷うことなく謁見の間へたどり着けるようになった。

 玉座へと通じる扉を前に、「猊下、お呼び出しによりブルーアイズ参上いたしました」と、告げた。

「来たか、入れ…」

 間があって、声が響いた。長く間を取り、もったいをつけたようにしゃべるのは猊下ご自身の癖だった。

 扉を押しあけると奥行のある謁見の間の一段高い玉座に、猊下が頬杖をつき座っておられるのが見えた。

「よく、来たな…」

 天井の高い室内に声がこだまする。猊下の声は決して低く重みがあるわけではない。だがその声は聞く者を威圧し、かしづかせるだけの凄味と魅力を持っていた。

「ブルーアイズ、参上いたしました」

 御前に片ひざをつくと、「もっと、こちらへ寄るといい」と、手招きをされた。

 招かれるまま、玉座の手前まで近づき再びひざまづいた。

「もっとそばへ…」

 言われ、顔を上げる。長い黒髪に包まれ銀色に鈍く光る両角が目のあたりにあった。

「しかし…猊下、これ以上おそばへ寄ることは…」

「上がれ、ここへ」

 猊下が足元に目を落とし、爪先でコツリと床を鳴らした。

「そこへ…と?」

 とまどいを隠せずにいると、「上がれと言っている」と、くり返された。

「はっ…」

 向かい合うのははばかられて、猊下の玉座のわきへ退いて平伏した。

「…なぜ、私の前へ来ない」

「猊下…これ以上は、お許しを…」

「ふっ…ククッ…あいかわらずだな…」

押し殺した笑い混じりに言い、猊下はふと言葉を切った。

「あいかわらずだな……ラズル……」

「えっ…」

 聞こえた名に耳を疑った。

「猊下…今、なんと…」

 息づまるような間の後、

「私が、知らないとでも思っているのか…ラズル…」

 猊下の口にされた言葉は、今度は疑いようがなかった。

 動揺に何も応えられずにいると、「ラズル…いい名だな…」猊下が笑いをもらした。

「猊下…その名を、どちらで…」

「私を、誰だと思っている。そのような質問は、愚問だ」

「申しわけございません…猊下」

「おまえが私の命を破り血の洗礼を授けたという娘からもらった名……だそうだな」

「申しわけございません…猊下」

「謝ることしかできぬのか…」

「申しわけ……」

「ええいっ…黙れ! そのような謝罪の言葉を聞きたくて、おまえを呼んだわけではないわ…!」

 猊下が玉座を立ち上がり、持っていた皮の鞭をピシリと床に打ちつけた。

「ならば…猊下のお気の済むように…」

 瞬間、空を切るヒュンという音が耳元をかすめ、こめかみに焼けつくような痛みが走った。

 流れてきた血が、頬をつたい唇に入った。

「…なぜ、逃げない…。…それとも、そこまでして、その娘を守りたいとでもいうのか……その娘に罰が及ぶくらいなら、自分が全てかぶった方がいいとでも……」

「…………」

「なぜ、答えぬ!」

「申しわけございません…」

「貴様…っ、それが答えと受け取ってよいのだな!」

「どうぞ、お気が済まれるまで…」

 猊下が手にした鞭を頭上に振り上げたのがわかった。

 しなる音がして、打ちつけられると思ったが、鞭は顔の前に振り下ろされ、前髪を吹き上げただけだった。

「猊下…なぜ…」

「……くだらぬ……」

 鞭を柄に巻きつけ、猊下は玉座に腰を落とした。

「くだらぬ…たかが小娘1人のために、ドラキュラ伯爵ともあろうものが鞭で打たれようなどと…くだらぬっ!」

「猊下…私はどのような罰もお受けします……しかし、彼女には……」

「貴様っ、まだ言うか! 顔を上げろ……ブルーアイズ……」

 猊下のムチの柄があごをつき上げる。

「ブルーアイズ……蒼く透き通るまでに美しいその瞳……おまえは、あくまでその瞳でルキアとかいう娘しか見ないというのか……」

「お許しを…猊下…」

「謝罪の言葉など口にするな! 私は、おまえが……、ええいっ、もうよい! 帰れ、ブルーアイズ! 今すぐにだ! ここから去れ! 私の前から消えるがいいっ!」

「はっ…申しわけありませんでした…猊下」

 重苦しい沈黙を背に、扉を閉めた――。

 

  

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