―4―

穴から這い出ると、目の前に赤錆びた厚い扉が現われた。扉は低い天井まで届いて、丸い塔の半分を覆っていた。

 力を込め、重い扉を両側へ引きあけると、隙間から黒い鉄格子が見えた。扉はがらがらと溝をすべりながら、壁と鉄格子の間に収まっていく。

「ラズル……」

 塔のつくりに合わせた丸い檻の中に、ラズルが両手首を鎖でつながれうなだれていた。。

「……ラズル……」

もう一度呼ぶと、ひざをついたかっこうで吊り下げられていた彼が、「うぅ…」と、小さくうめいた。

「ラズル…助けに来たわ。ラズル…?」

「うっ…く、だ…誰…だ…」

ラズルが、たれ下がる前髪の間から私の方を透かし見た。

「ラズル…私よ、ルキア。あなたを、助けに来たの」

「ルキ…ア…だと…?」

ラズルが緩慢な動作で、疲れ切った顔を上げた。

 「そうよ、ラズル……覚えてる…よね?」

ラズルは答えず、にらみ据えるような眼差しでこちらをじっと見た。蒼い双眸が、つき刺さるようだった。

「ラズル……忘れてしまったの?」

いつまでも虚ろに見つめたままでいるラズルにいたたまれなくなって目をそらそうとした。

「忘れるわけがない……」

衰弱しているのか、かすれた弱々しい声で、ラズルがかすかに応えた。

「だがルキア、なぜこんなところへ……」

「あなたが、私のせいで罰を受けてるって聞いたから、それで助けに……」

「ルキア…悪いことは言わない。今すぐここから去れ…今、すぐにだ…」

「いや…あなたを助けに来たんだもの。あなたをつれて帰るわ」

ラズルは、無言で首を振った。

「だめだ…ルキア。魔界は、危険だ…私は、おまえが殺されたりするのを、見たくはない…それでは、おまえに血の洗礼を授け、救った意味がない……」

「ラズル……あなたが、魔界の禁忌を破ってまで私を救ってくれたのに、私があなたの危機を救わないわけにはいかない……」

 「ルキア……」

「ラズル、助けるから、ここのあけ方を教えて」

 「牢の鍵は、ここにある……」

ラズルの視線をたどると、首から細い鎖がかけられていて、その先に金色の鍵が下がっていた。

 「なんで、そんなところに…」

「たちの悪い拷問だ……鍵があるのに触れることもかなわない……それで、精神的苦痛をも味あわせようとしているんだ……」

黒金の鉄柵の間から手を伸ばすが、鍵には届かなかった。

「ラズル、もっとこっちに寄って…」

ラズルがひざをずって体を前へ出そうとすると、彼の手首につながっている鎖が限界にまで引っぱられてぎしぎしと軋んだ。

「もうちょっと…もうちょっとで…」

体を横にして腕を差し入れ、必死で鍵をつかみ取ろうとした。

ラズルの手首をとらえている手枷が食い込んで、血が細い筋になって流れているのが目に入った。

「ラズル…大丈夫…?」

「だい…じょう…ぶだ…」

彼の声は少しも大丈夫そうには聞こえなかった。早く鍵を取らないと、ラズルの体の方がまいってしまいそうだった。

目いっぱいまで指を伸ばすと、やっとかすかに手に鎖がさわった。そのまま指をかけて、細い鎖を引きちぎろうとする。

鎖が首を絞めるようで、ラズルが「うぅ…う…」と、うめき声を放った。

「ラズル…もうすぐ取れるから…」

目を閉じ一気に引くと、鎖はぷつりと切れて手の中に鍵が落ちた。

目の前に握った拳を戻しひらいて見ると、金色の鍵はひとつではなかった。

「赤いルビーのはまった鍵で、牢はあく……」

意匠をこらした大ぶりの頭の部分に、赤く輝くルビーをはめ込んだ金色の鍵を、牢の鍵穴へ差し込んだ。

右にひねると、鍵はかちゃりとわずかな音をたててひらいた。

牢の中へ入り、ラズルのそばへ寄る。

「ラズル…会いたかった…」

銀色の髪の間に手を差し入れ、首筋をそっと抱きしめると、ラズルは応えるように頬をすり寄せた。

「ルキア…私もだ…」

言うラズルの頬をはさんで、静かに口づけた。

「ラズル…今、はずしてあげるから…」

手枷を取ろうとして、彼の手首からつたい落ちる血に気づく。手を取り鍵をあけながら、血に濡れた手首に唇をあてた。

ラズルは「あっ…」と小さく声をあげ、それから指をからめ手を握り返して、「ルキア…」と、やさしげな声で呼んだ。

「ルキア…もっと…私の血を吸うと…いい…。私の血を、体に入れれば…、おまえの血は、濃く…なる…」

息も絶え絶えにそう言って、ラズルは私に覆いかぶさるように倒れると、そのまま気を失ってしまった。

 

 

血のにじんだ彼の腕を肩にかけて、ぐったりとした体を抱きかかえる。入ってきた穴を下り、翼をひらいてレッドウィングスの出ていった窓から、城の外へと羽ばたく。

城から出るとすぐにレッドウィングスが飛んできて、「成功したようね…」と、笑みを浮かべた。

つられるように微笑んで、「ええ…彼はだいぶ弱っているみたいだけど…」と、肩からずり下がりかけるラズルを抱き直した。

「彼を、こちらへ…」

言われるままレッドウィングスに彼の体をあずけた。その途端だった。

「グレイ! 侵入者はこっちにいるわっ!」

彼女が、叫んだのだ。

「えっ…侵入者って…まさか……」

城の裏手の方から軍勢を引きつれた、あの灰色のヴァンパイアがやって来るのが見えて、私は目を見張った。

「侵入者は、そこか!」

 太く、低い声が響いて、私はびくりと体を震わせた。

こちらへまっしぐらに向かってくるグレイを呆然と目で追いながら、「レッドウィングス…あなた…もしかして、私を裏切ったの?」かすかな期待を抱きつつも彼女に聞いてみる。

「裏切ったのか、ですって?」

レッドウィングスは聞き返して、「ふっ…アハハハハハハッ…!」と、突然甲高い笑い声をあげた。

「この私が、もともとあなたなんかに、本気で加担するとでも思ってたの?」

「そんな…じゃあ最初から、そのつもりで……」

「決まってるじゃない! 私はブルーアイズを助けたかっただけ。もとからあなたを実行犯にして、罪を1人でかぶってもらうつもりだった……思惑どおり、うまくいったわ……」

「ひどい……! レッドウィングス、あなたを信じてたのに……っ!」

つかみかかろうとするのを、彼女は横へ飛んで体かわし、「私なんかにかまってるより、ルキア? 早く逃げた方がいいんじゃないかしら…グレイは、そこまで来てるのよ」背後をあごでしゃくって見せた。

「貴様…! あの時の娘か! 侵入者は、貴様かっ…!」

鬼気迫るグレイの形相に、思わず後ずさる。

「ブルーアイズを慕って、ここまでのこのこやって来るとは……ふん、バカな女だ! 奴の罰を解いた者は、消してもよいとの猊下の命もある……貴様を、殺してやる!」

グレイはひとしきり声をあげて笑い、ふと思い出したようにレッドウィングスに支えられ気を失ったままのラズルを一瞥した。

「だが、奴にこれ以上の罰が加えられないとは……猊下は、なぜそこまで、ブルーアイズに執着する……」

「そんなの決まってるじゃない。彼は、私たちヴァンパイアの血族の中でも、もっとも純粋な血を受け継ぐ者……猊下だって一目置いてるはずだわ」

レッドウィングスが、あたりまえだという顔つきで言った。それがおもしろくなかったらしく、グレイは露骨に顔をしかめた。

「ふん…ドラキュラ伯爵の称号を冠たる者には、猊下すらもむやみな傷は付けぬと言うことか……。しかしレッドウィングス、貴様も、猊下同様、そいつに執着しているようだ……なぜだ? そいつが、貴様を魅了する程、美しいからではないのか?」

「なっ…何を! バカなことを言ってないで、とっととその女を捕らえなさいっ!」

「ふっ…まぁ、いいだろう。同種族で争ってもらちがあかない。代わりに、この胸の苛立ち……その女に負ってもらおう! 思いっきりいたぶってやるから、せいぜい逃げまわるがいい!」

じりじりと後ろへ下がっていたのを、グレイに背中を向け飛び上がった。恐かった……逃げないと、凶暴な灰色のヴァンパイアに一体どんな仕打ちを受けるのか、想像もつかなかった。

逃げる背後から、グレイの配下たちが弓に矢をつがえては次々に射ってくる。1本が耳のふちをそいで飛んでいき、ひるんだところへずぶりと肩に矢がつき刺さった。

引き抜こうとしたが、その間にも矢は休みなく飛んできて、さらに背中を、わき腹を貫いた。

「どうした! もう終わりか? まだ鬼ごっこは始まったばっかりだぞっ!」

声とともにグレイの巨大なボウガンから矢が放たれるのが目に入った。あまりの恐怖に羽ばたくが、その間もなく太い矢に片翼が大きくななめに切り裂かれた。

飛行力が萎え、下へ落ちかけても、矢は容赦なく雨のように全身に降り注いだ。

「逃げろ! 逃げて逃げて逃げまくるがいい! 地の果てまでも追いかけて、なぶり殺してやるっ!!」

グレイの笑い声が響きわたる。彼は、責めることをおもしろがっている……恐くてたまらなくて、ずきずきと痛む翼を必死になって上下させて逃げた。

でも、いくら逃げようとも、魔界の景色はまるで変わらなくて、飛べば飛ぶ程、どこにいるのかわからなくなっていった……。

ボウガンで受けた傷からしたたる血がおびただしくて、いつしか片翼は機能しなくなった。

翼1枚だけで逃げるには限界があった。それでも気力を尽くして飛んだが、じわじわとグレイの配下たちからまわりを追いつめられて、ついには逃げ場がなくなってしまった。

 

 

「なかなか、楽しませてくれる…」

追いついてきたグレイが薄笑いを浮かべた。

「だが、俺も、貴様を追うのにも飽きてきた……。このへんで、そろそろ殺られろ」

矢は、すでに幾本も体につき刺さっていた。さんざ飛びまわったせいで、息も切れていた。もう私には抗うような力は残ってはいなかった。

「おとなしく殺される気になったか……。ま、そこは行き止まりだし、それ以上逃げようもないがな……」

「行き止まり?」

「下を見てみるがいい。地面が終わってるだろう」

見下ろすと、グレイの言うとおり、眼下の地面はふいに途絶えていた。

「ここは、この空間の果て……魔界は幾層もの空間が連なる世界……ここから別空間に行くためには、ブルーアイズら主要魔族の屋敷の中にある次元空間転移ゲートを抜けなければならない……どちらにしろ、貴様はここで終わりということだ……」

グレイが矢をつがえようとする配下たちを制して、「とどめは、俺が刺す」と、ボウガンをかまえた。

「この俺にとどめを刺してもらえるなど、光栄に思うがいい」

グレイが、引き金に指をかける。あきらめて、目をつぶった。

「ブルーアイズへの怨み、負ってもらうぞ…」

「ブルーアイズ…」

この場で聞くとは思わなかったその名に、びくりと体が震えた。そのせいで、矢はわずかに胸をそれた。

でも、至近距離でボウガンの矢があたった衝撃はひどく強烈で、私の体は吹っ飛んで空中をそのまままっさかさまに落下した。

くるくると回りながら落ちていく体のあちこちから血が噴き出して、上へ上へと飛んでいく。流血に遠のいていく意識の中に、グレイたちの話し声がかすかに聞こえてくる。

「公、あの娘の急所をはずしたようですが…」

「かまわん。あれだけ血が流れていれば、ヴァンパイアとして目覚めたばかりの身、長くは持つまい」

「公がそうおっしゃるのなら、深追いはしませんが……あの娘、あのままでは次元のはざまに落ちるのでは……」

「いい。異次元でくたばろうが、俺の知ったことではない」

次元のはざま……で、死ぬ……せめて、外界へ戻りたいと思ったが、体が空間の歪みに引き込まれたのか、堕ちていくのを止めることはできなかった。

もう、終わりだ……「あの娘も、もう終わりだな……」彼方でグレイたちの飛び去る羽音がしたような気がした……。

「ブルーアイズも悲嘆にくれるはず……いい気味だ……」

嘲笑うかのようなグレイの捨て台詞……ブルーアイズ……彼は、私のために泣くだろうか……。

……死ぬ前に、ラズル……あなたに、もう一度……。

その先を思う気力はなく、私は深い眠りに襲われるまま、静かにまぶたを閉じた。

 

 

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送