―4―
猟奇的殺人事件が街を襲ったのだ。
何人もの人が殺され、街中で血まみれになって死んでいるのが見つかった。凶行は真夜中に行われているようで、犯人の姿を見た人は誰もいなかった。
犯人を誰も目撃していないのと、死体が多量の血にまみれるという残虐性から、報道は興味本位に走りがちになっていた。しかも殺された人の首筋には、どれも同じ針でつついたような2つの穴があって、それがマスコミの好奇心をあおることになっていた。猟奇性ばかりを強調し、『現代に現われた吸血鬼』と報道するメディアも多かった。
「……まさか、ラズル……」新聞などに“吸血鬼”の文字を見つける度に思った。「そんなはずない」と何度も思い直した。でも「ラズルかもしれない……」という思いを完全に消し去ることはできなかった。
ラズルを信じられないまま、いつしか城へ行かない日々が続いていた。本当はラズルのしたことではないのかもしれなかった。けれどどうしても、ラズルがやったのではないとも思い切れなかった。
私の中には、迷いばかりがあった。ラズルに確かめてみればわかることなのに、恐くてそれができなかった。何度も決心をつけては思い返し、だけどやがてこのまま真実から逃げていても仕方がないのかもしれないと、私は覚悟を決めた……。
……久しぶりに、私は薄暗い森へと入った。訪れた城は、暗闇の中にひっそりと静まり返っていた。初めて訪れた時でさえ思わなかったのに、なぜだかとても恐ろしげなものに見えた。震える手で扉を引きあける。声をかけることがためらわれて、私は足音をしのばせて中へ入った。何度もここへ来たのに、こんな風に息をひそめたりしたのは初めてだった。
いつもの広間にラズルの姿は見えない。この城で広間以外に行ったことはない。灯りをつけて歩き回るうち、広間の大階段の裏手に隠されたようにある扉を見つけた。
なぜか胸騒ぎがするようで、少しだけあけて扉のすき間から中をのぞいた。奥は廊下のようで、赤いビロードのじゅうたんがまっすぐに敷きつめられていた。
音をたてないように扉を閉め、じゅうたんを踏みしめる。廊下は意外にせまい。灯りを消し、せまく長く続く廊下を足先で探りながら進んでいく。「どこまで続いてるの…」思いかけた途端、前に出した足がガクッと落ちかけた。廊下の先は、地下室へと降りる階段になっていた。足を踏みはずしそうになったのを、ようやくバランスを保って持ちこたえる。
1段目に立ち、下を眺めた。階段は奈落のように果てしなく続いて見える。一歩ずつそろそろと足を降ろしていく。何も見えない。目の前の一段しか見ることができない。どこまで続くんだろう……もうどれくらい降りてきたんだろう。振り返ってみたが、まっ暗でもうどこから降りてきたのかさえもわからなくなっていった。
降りるしかない……自分の呼吸する音だけが聞こえるような森閑とした闇の中を降りていくと、やがて踏み出した足が床についた。 降り立った地下室は、かなりの広さがあるようだった。息を殺し、壁づたいに歩いていく。ふと部屋の端にうす明かりが灯っているのを見つける。まるでスポットライトのように、そこだけがほの明るく照らし出されている。
「ラズル…いるの…?」呼びかけると、応えるかのように1つの影がゆっくりと上半身を起き上がらせた。
「ラズル…な…の…?」
聞かれて、振り向いた顔――ラズルじゃない。
「あなた、だ……」たずねようとして、気づいた。その女の口元から血が流れている。
「あなた……血が……」
言いかけた時だった。
「…うん…誰か、いるのか…?」
女の体の下から、誰かが体を起こした。ラズルだった。
「ラズル…あなた何をして…」
うす明りにさえ目を細めて、ラズルが私をいぶかしげに見た。
「…ルキ…ア…なのか…?」
その時、初めてわかった。ラズルともう1人の女の人がいたのは、棺の中だった。
「そ、れ…棺…」
無意識に後ずさっていた。
ラズルが唇に添えていた手をはずすと、ツーっと一筋、血がたれるのが見えた。
「ラ…ズ…ル……あなた、血を……」
「あっ……」
ラズルがあわてたように手で口をぬぐい、それから初めて自分の体の上にいた女に気づいたような顔をした。
「なぜ……おまえが……ここに……」
「……ラズル……あなた、やっぱり、ヴァンパイア、だったのね……」
ラズルに背を向ける。「……もう、ここには来ないっ……!」階段へと走り出す。
「待て、ルキア…!」
ラズルの声が追いかけてくる。
振り切って、階段を駆け上がる。
「ルキアっ…!」
叫ぶラズルの声が追いすがってくる。
「やっぱり…、やっぱり…、ラズルが犯人だったんだ……やっぱりっ!」
城を飛び出して走った。胸の動悸が激しくなったが、足を止めることはできなかった。恐かった。ラズルが、吸血鬼が今にも私を襲おうと迫ってくるようで恐くてたまらなかった。
家に着くまでの間、同じ言葉ばかりが頭の中をめぐっていた。(信じられない、信じたくはなかったのに……)唇からたれていた血が、目に焼きついている。
「ラズル……きっとあの女の人の血を吸ってたんだ……やっぱりあの人はヴァンパイアだった……そうだよね、そんなに簡単に本性を捨て去ることなんて、できるわけがない……そう…だよね……」
帰るなりベッドに倒れ込み、恐怖に震える体を両手で抱きしめた。「ラズル……ラズルのはずがないって……」うわごとのようにくり返しながら、ふいに我に返り思い出した。ベッドの上に起き上がって座り、1人「ううん」と、首を振った。
「私は、最初からラズルのことなんか信じてなかった……そう……だから、これはきっと当然の結果……」
体を抱きしめたまま自分にそう語り聞かせる内、涙がこぼれてきた。
それと同時に、今までの恐怖がうそのように引いていくのを感じた。
「この結末は、ラズルを信じることができなかった私への罰、当然の罰なんだ……」
私は、ひとりベッドの上で呟いた。
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