―2―

私は、はやる気もちをおさえられずに、翌朝まだ太陽がずいぶんと高いうちから城を訪れた。扉を引きあけると、きのうの夜と同じギギィーっという音がした。大広間に明るい光がもれ出す。

「こんにちわ…」小さく声をかける。

 誰の声もしない。

 扉をあけたまま、もう一度「あの…」と、呼びかける。

「誰だっ…うぅっ…」

かかった声が、途中からうめき声に変わる。

「…そ、その扉を…し…閉め…ろっ…!」

「待って! 私よ! きのう来たの、覚えてるでしょ? ねぇ、顔を見せて! 扉を閉める前に、姿を見せて!」

「だ…ダメだっ。私と話をしたかったら、その扉を閉めろ……お願いだ……」

 哀願するような声……「わかったわ……」

後ろ手に扉を閉ざす。扉を閉めてしまうと、どこからも光は射し込んでこなくて、まわりはまた闇に覆われてしまった。

「閉めたわ……だから、私と話をして」

 何の応答も返ってこない。暗闇にまぎれてどこかへ行ってしまったんだろうか……いるのかどうかもわからなくて、もう一度声をかけようとした時だった。

「わかった…」という声が、どこからともなく聞こえた。

「今、そこへ行く……が、灯りは持ってないだろうな?」

「持ってきてないわ」

「では、そこの隅のベルベッドのソファーにかけて待つといい。今、降りていくから…」 

 広間の隅に目をやる。暗くて、そこにソファーがあるのかどうかもよくわからない。隅だと思う方へ、少しずつ足をすべらせるようにして進む。

 泳がせるようにしていた手が、やっとソファーの背もたれらしきものに触れる。座ろうとして、テーブルの角に足を強くぶつけてしまう。「痛っ…」テーブルがあったなんて思わなかった。でもソファーがあったのなら、テーブルもあるはずだった。

 少し軽率だったかもと思いながら足をさすっていると、足音が近づいてきた。テーブルさえも見えない暗闇の中を、まっすぐにこちらへ向かって歩いてくる。

 コツコツという靴音がだんだん大きくなるにつれ、胸がドキドキと高鳴っていく。

 そばまで来たらしく、足音が止まった。

「ワインを持ってきた……飲めるか?」

 低く、だがよく通る声だった。

「えっ…ええ…」

「そうか…」

 グラスにワインを注ぐ音がする。暗くて私にはグラスのありかさえ知れないのに、男は少しもとまどうことなくワインを注いでいるようだった。

「……見えるんですね?」

 聞いてみたが、男は「えっ?」と、言っただけだった。男にとっては見えることは当然のようで、質問の意味自体がよくわからないらしかった。

「さぁ…グラスを」

 言われて目の前のグラスを手探りする。指が細い柄の部分に触れ、持ち上げようとした時、カチャーンという音をたててグラスが手からすべり落ちた。

「あっ、ごめんなさい…」

 かけらを拾おうした手を、男の手がつかんだ。

「危ないから、私がやろう……そんなことをしたら、血が流れてしまう……」

 そう呟いて、足元にひざまづきガラスのかけらを拾っていた手が、ふと止まったように思えた。

「…もう、どこか切ったのか…?」

「えっ…?」

「ここ…血が流れている…」

 男の手がさっきぶつけたすねのあたりに触れた。冷んやりとした手の感触……まるで氷のように……。

「血を、止めなくては……」

 言った男の声に、なぜだかゾクリと震え上がるような寒気を覚えた。

「やめてっ! その手をどけて!」思わず男の手を振り払っていた。

 好意を無下に断った私に、男は怒ると思った。だけど聞こえたのは「すまない…」と、謝る声だった。

「なぜ…謝るの…? 悪いのは、きっと私の方なのに……」

 男は何も言わず沈黙が続いた。

「……もう、帰ってくれないか……」

沈黙の後、男は一言そう言った。

「でも……」

「もう、いいんだ……。私が誰かと話をするなど無理なことだったんだ……。この私が誰かと酒を楽しむなど……できるわけがなかったんだ……」

 暗闇に目が慣れてきて、男の姿が見えるようになる、男は顔を両手で覆い、泣いているようにも見えた。

「でもまだ何も話してない……私、あなたともっと話がしたいの……」

 顔を覆う手に指を伸ばすと、男がびくりと体を震わせた。

 男がそろそろと顔から手をはずす。

「見えて…いるのか?」

 まっすぐに向けられた男の目……闇の中に光るような蒼い瞳……冷たい刺すような蒼すぎる蒼……髪は瞳と同じような、蒼みがかった見たこともない銀髪だった。

「見えているんだ…な…」

 答えずにいると男が口をひらいて言った。

 その時、紅く薄い唇から何かがのぞいた。

 

 

「そ、それ…牙…」

 あわてて男が口を閉じる。それから再び顔を隠して、声を上げた。

「見るなっ…!」

「私を見るなっ……帰れ! 帰ってくれ! お願いだ……お願いだから……」

 哀しげな声……小刻みに震える肩、思わず腕をまわしその肩を抱きしめていた。

 男の目が驚きに見ひらかれる。耳元に唇を寄せ「大丈夫…」と言いかけて、気づいた。あの白い牙のすぐそばに、無防備な私の首筋がある。カッと口があけられ、とがった牙が今にもつき立てられる気配がした――。

 ――が、次の瞬間、男の手で体が後ろへつき飛ばされた。

「……どうして?」呟くと、「どうしてだと……?」と、男が聞き返してきた。

「私が何をしようとしていたのか、わかっていたのだろう…?」

 何も答えられずにいると、男が「やはり、わかっていたのだな……」と、口にした。

「そう……私の正体は、おまえが思っている通り……ヴァンパイアだ。そして今、私は疑いようもなく首筋に牙を立てて、おまえを狩ろうとしていたのだ……。さぁ、わかったらここから立ち去るがいい……私がまたいつ血に飢えて、おまえを狩ろうとするかわからない……さぁ去れ……」

「……。……なぜ、血を吸わなかったの? 私はあなたにそうされてもよかったのに……」

 沈黙の後、そんな言葉が口をついて出た。だけど「去れ」と言いながら、さびしげに顔をうつむけるこの人をほうっておくことなどはできなかった。

「どうしてそんなことを言う……本心からではないだろうに……」

「でもそうされてもいいと思った……あなたともっと親しくなれるのなら……」

「何を、バカな…私なんかと関わらない方がいい…私は、人ではないのだ…」

言って、男は私の顔をじっと見た。それから一呼吸置いて、こう聞いてきた。

「……私が、恐くはないのか……?」

「恐く、ないわ…」

言葉を切って、ゆっくりと言い聞かせるように答えると、男は信じられないという表情をした。

「私が、ヴァンパイアでもか……?」

「ええ…。だって私はあなたと話がしたい……だからあなたがなんであるかより……あなたの名前が知りたい……私はルキア、あなたは?」

「ルキア……名前……」

男は呟いて、それから力なく首を左右に振った。

「私に、名前はない……。……私たちのようなものが、互いに親しみを込めて名前で呼び合うことなどないのだから……ただ同種族が集まる時、呼び方に困るので呼称だけはある……私は、ブルーアイズだ」

「ブルーアイズ…?」

「そう…蒼い目。この蒼すぎる蒼の瞳は、ヴァンパイアの正統な血筋を継ぐ者である証……。まがまがしいまでに蒼い瞳……それが、私の呼び名だ」

「ううん…、まがまがしくなんかない…」

微笑んで、そう声をかける。

「きれいな瞳……美しいブルーアイズ……そうだ、私があなたに名前をつけてあげる……」

「名前? この私にか?」

「ええ…えっと、どんな名がいいかしら……あっ、と……そうだ! ねぇ、ラズルなんて名前はどう?」

「ラズル…?」

「そうラズル……ラピスラズリのラズル……ラピスラズリとは、幸福を呼ぶと言われている青い石のこと……あなたの瞳は、蒼くてとてもきれいだわ。まるでラピスラズリのように」

「私の瞳が、きれい……だと?」

男が上ずった声でそう聞き返す。

 うなづいて見せると、男は「信じられない……」と、言った。「信じられない……この私の目がきれいだなどと。この目が、この牙が、この私をけだものにしているのに……きれいだなどとそんなことあるわけが……」

「いいえ」と男の言葉をさえぎった。

「とてもきれいだわ、ラズル」

「ラズル……」口の中で小さくくり返し、

「……そう呼ばれるのも、いいかもしれない……」

男は、初めて微笑んだ。

 

  

 

 

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