ブルーヴァンパイアY「密やかに星降る夜の円舞曲」
-1-
雨上りの夜は青くさい草の匂いがする。
館のまわりの草に落ちた雨の雫が月の光にきらきらと輝いている。雲が切れた空にはこぼれるような星が煌めいている。
「綺麗だな…」
あけ放った窓からは、草の匂いをはらんだ風がそよいでくる。
「でも、つまらない……」
そんな言葉がふと口をついて出る。外の景色が綺麗であればある程、1人でいることはひどく退屈だった。こんなことをよく思うようになったのは、あのオズマと別れてからだった。魔獣オズマは、私の心の中に埋められない空白を残した。
ぼんやりと頬づえをついてどれくらい外をながめていただろう。
「……ルキア、ルキア?」
私を呼ぶ声がして、顔を上げると、ラズルが窓辺に来ていた。
「ラズル……。よかった……今1人じゃさびしいなって思ってたの」
「そうか…。私も、おまえと、この夜空を見たくて、魔界を脱け出してきた…」
「……本当は、もっと別の用があったんでしょ?」
笑い、たずねながら彼を部屋の中に招き入れる。彼が私の所へ来るのは、たいてい何かしらある時だった。
「うん…、いや…」
と、彼が言いよどむ。
「どうしたの? 何かまた新しい問題でも起こったの?」
「ちがう……その、謝りに来たのだ。……あの魔獣の件で、おまえにはすまないことをしたと気になっていた……」
魔獣オズマとラズルとは一対一の決闘をし、ラズルの剣がオズマを刺し貫くかっこうで勝敗がついていた。ただ、その時死んだように見えたオズマは、一度殺されたことで魔女にかけられていたという呪いから解かれ、魔ものとして生き返っていた。ラズルはその場には居合わせず、彼はまだその事実を知らなかった。
「……あのね、彼は死んでないのよ」
ラズルにそう教える。
「えっ…? だが、あれは私の剣が確かに……」
「ええ、刺さっていたわ。だけど、あの魔獣はそのせいで魔女の呪いから覚めたの。彼は元々は人間だった……名前も聞いたわ。オズマっていうの」
「オズマ……魔女の呪い……そう、か……」
彼が呟きながら壁にもたれて腕を組んだ。いろいろな断片のひとつひとつを彼は頭の中で組み合わせているようだった。
「わかった? だから大丈夫……ラズルは、あの人を殺してなんかいないから」
「ああ……だが、私が剣で手にかけたのは事実だ……。もしそのような呪いがかけられていなければ、あの魔獣は確実に……」
「もう、いいから。そうやってすぐに額にしわを寄せるのはラズルの悪い癖。それよりせっかく会えたんだから、この時間を大事にしましょう?」
「ああ、すまない……」
「ここに、座って? たまには辛口の白ワインでも飲みましょう? 今取ってくるから」と、彼を寝台に座らせた。
白ワインはこないだ地下のワインセラーから初めて見つけた1本だった。遥か昔、この館に父と母と3人で暮らしていた頃、ワインセラーには白や赤を取り混ぜて幾本ものワインがあった。だけど今は赤ばかりで、白はたぶんこれ1本きりしかないはずだった。
「最期の1本だからね…」
「最期の? これには何か思い入れでもあるのか?」
「うん……」
彼のグラスにワインを注ぎ入れながらうなづく。
「あのね、昔、まだ私が人間だった頃、私はこの館で父と母と3人で住んでいたの。とても幸せだった……父はよく遊んでくれたし、母はとてもやさしかったし……」
彼は、黙って聞いている。
私は、懐かしい味のするワインを口に運んだ。
「……だけど、ある時、父が死んだの。交通事故で、突然だった……。父をとても愛していた母は、突然の死に精神を病んでしまって……父の大好きだった白ワインをみんな粉々に砕いてしまった……だから、これはたぶん最期の1本……長く入院していた母もとうにいないし……」
「そうか……おまえの母は、美しかったのだろうな?」
「ええ、とても……儚ないくらいに」
「私の母も、そうだった……」
彼が何かつらいことを思い出したのか顔をうつむける。
「こないだ夢を見た……夢の中の母は、とても綺麗だった……」
「ラズルは、お母様に似たのかしらね?」
なにげなく口にすると、彼は「えっ?」と驚いた顔を見せた。
「私が……? そんなことは考えたこともなかった……」
彼はそう言ったが、彼を見ていると、清らかな美しさを持った母親の姿がありありと浮かぶようだった。
「お母様も、あなたと同じ銀髪だったの?」
「いや……母は、見事な金髪だった。父は黒髪で、私は父にも母にも似ていない……。私は、ヴァンパイアの父が人間の母と愛し合ったためにできたキマイラだ……」
「キマイラって……そんな言い方」
ふっ…と彼が笑い顔になる。
「私は、今までそうして自分を蔑んできた。だが母の夢を見てから、私は少し自分を変えることができた……夢の中の母が、私をとても愛してくれていたから……」
「そう。じゃあきっと、お母様は幸せだったのね?」
「えっ……幸せ? だったのだろうか……。母は、あんな死に方をして……」
彼はグラスの底に残った一口のワインを飲み干さずに、じっとながめた。
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