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「……ねぇ、名前を聞いてもいい?」

「名前か……私は、オズマだ」

「オズマ……あなたさえよければ、ここでいっしょに暮らさない?」

 彼が答える前から、私は同意してくれるものと勝手に思い込んでいた。だけど彼は、「それは、できない」と首を振った。

「できない……無理だ、それは。私には、そんな関係は性に合わない。2人っきりで傷を舐め合うよりも、私は1人で孤独に耐えても生きる方を選ぶ……」

「そう……」

 勝手な思い込みだったが、拒まれるとさすがにさびしかった。

「1人は嫌か? だがおまえは、私と過ごしたとしてあれを……あの伯爵を、忘れられるのか?」

「えっ……」

彼が同意してくれなかったわけが唐突にわかった。私は、彼に都合のいいわがままを押しつけていただけだった。手の届かないラズルより、そばにいるオズマならと……単純な思いつきは、無意識だった私より先にとっくに彼に見破られていた。

「わかったのならいい……。おまえは、自らいばらの道を選ぶと言ったはずだ。あの気もちに、嘘はなかったろう? 初めから、おまえの中には、私の入る余地などない……そしてそれは、私も同じだ……」

「同じ、って……?」

「つまり、私にも想い人はいたということだ……」

「そう、今は何処に……」

 途中まで聞きかけて気づいた――それが彼が人間だった頃の話なら、その人が今も生きているわけはない。

「ふっ…そんな顔はするな。もう数百年も前のことだ……本当のところ、今も好きなのかどうかはわからない。顔さえもよく思い出せないのだ……ただ、彼女は私が人間であった最期の記憶の中に今もいる……。最期の記憶の中に……私が彼女を好きでいるのは、自分が人間だったという記憶をなくしたくないだけなのかもしれない……」

「ねぇ、あなたの過去には、何があったの……?」

「そんなことを聞いて、どうする?」

「どうもしない。聞いてみただけ……月がとってもきれいだったから」

「月、か」

 彼が月を見上げる。彼の艶やかな金色の髪は、月の光にさらされると一段と煌びやかに艶めいた。ラズルの闇に溶け込んで濡れたように輝く艶めかしい青銀の髪とは、対を成す美しさだった。

 「かつて……私は、王家にあった。王の第一継承者だった私は、病に倒れた父王に代わり王位に着き、かねてからの婚約者を妃として迎え入れるため婚礼の儀を執り行おうとしていた、そのまさに前夜、魔女に襲われたのだ。誰が王位に着いたばかりの私に呪いをかけようと、魔女を差し向けたのかはわからない。魔女の呪いにより魔獣の姿に変えられた私は、その夜のうちに城を追われた。……逃げのびた湖で、自分の姿を初めて映し見た時の、あの驚愕は今も忘れられない……私は、あの夜からずっと行くあてもなく逃げ続けている……」

「……これから、魔界に帰るの?」

 なんとなく彼の行く先を気にかけている自分がいる。

「魔界には、帰らない。元人間の私は、あそこでは異端だった。おそらく転々と主人を変え流浪していた私は、猊下にとっては刺客として送るのに好都合だったんだろう。決まった主人もない私が、失敗して死のうが誰の腹も痛まない……よく考えられたものだ」

 彼が小さく息を吐く。

「私に、王族の誇りなどは、すでにありはしない。オズマの名もなんの意味も持たぬ……私は、ただの捨て駒だ」

「ねぇ…なら、どこに行くの?」

 そう、また聞いた私は、答えによっては彼を引き止められるかもしれないと、まだどこかで未練がましく思っている。

「さぁ…な。どこへでも行くさ、もともと私を受け入れてくれる場所などないのだ。そう思えば、どこへでも行ける。すまないな…ルキア」

「私の気もち、わかってたのね……大丈夫、もう止めたりしないから」

 私が差し出した手を、オズマは両手でしっかりと包んでくれた。

「さよならだ、ルキア。……短い間だったがおまえと過ごせて、楽しかった……」

 オズマが手を離して背中を向ける。

「さよなら、オズマ。私も、あなたとの暮らしは楽しかった」

 後ろ姿のオズマは、片手をあげて軽く振った。

 ラズルとは、何もかも正反対のオズマ……陰と陽の背中合わせの2人、目を閉じて思うだけで胸が騒ぐ。

「…また、めぐり会えると、いいね…」

 呟くが、もうオズマの姿は見えなくなっていた。

 

 空にはラズルのいる魔界の入口を示す紅い凶星が姿を見せている。

 金と銀――私は、分かれた道のうちの1つを選び取れるのだろうか。

『おまえは、自らいばらの道を選ぶと……』

 いばらの道は、どうやらまだ始まったばかりらしかった……。

 

  

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