―4―
「お帰りなさいませ、伯爵」
「ああ…」
羽織っていた黒いマントを脱ぎ、妖魔にあずける。
「猊下は、なんと?」
「いや…その話は、もういい。今日は、疲れた…もう休む」
「承知しました。今日は、どちらでお休みを?」
「寝台で…。私は着替えてから行く」
部屋で白いシャツをまとった。髪をたばねていたのを思い出し、リボンをほどいた。
用意の整った寝台へ入ると、体にまとわりつく疲れのまま眠りについた――。
「伯爵…お休みのところ失礼いたします。客人がお見えでございます」
「んっ…。客人か…悪いが、今日は帰っていただけ…今は、休みたい…」
「…帰れだなんて、ごあいさつね」
「その声……」
寝台に体を起こすと、扉にもたれかかり腕を組んでいる女の姿が目に入った。
「レッドウィングスか…」
「レッドウィングス…悪いが、今日は帰ってくれないか…気分が、すぐれない…」
「まだ、言うのね…。でも用事があって来たんですもの…そう簡単には帰れないわ」
言いながら、レッドウィングスが寝台へと近づいてくる。
「用…なんの用だ…」
「大事な用よ…猊下からの…」
「猊下……」
「そ…、私を帰すわけにはいかなくなったでしょ?」
「猊下が……私に、何を……」
「せめて、用を聞くつもりなら起きてもらえないかしら…ブルーアイズ?」
体を起こそうとすると、控えていた妖魔がベルベッドのマントを肩にかけた。
「すまない…」
「伯爵…下は…」
「シルクを…」
腰にサテンのサッシュを巻き、寝台の傍らのテーブルセットに腰かけた。
「わざわざ服を整えるなんて、猊下への敬意のつもり? それとも私への……」
「用を…早く」
「わかったわ…まったくあいかわらずよね、あなたって。さ…これが、猊下から賜ったもの…いっしょにいただきましょう?」
レッドウィングスが、テーブルの上に深紅のバラが巻きついたボトルを置いた。
「これは…」
「猊下が、あなたにって…。純度の高い血液よ……使い魔、グラスを2つ」
「血……」
「そう、猊下はあなたのことを気づかってらっしゃるわ。猊下の心よりのお気もち……飲まないなんて、言わないわよね?」
出された2つのグラスに、レッドウィングスがボトルを傾ける。
「さ…乾杯を」
目の前に掲げられたグラスに、気が進まぬままグラスを合わせた。
「乾杯は…、何にしようかしら?」
「レッドウィングス…用が済んだのなら、もう帰ってもらえないだろうか…。私は、今日はおまえと晩餐をするような気にはなれない…」
「まるでそっけないのね…でも、まだあなたがそれを口にするのを見てないわ」
「猊下に、ご報告の必要があるのか?」
うなづくレッドウィングスに、一口を口に含む。ねっとりとした舌ざわりが咽もとを通り落ちていった。
「どう…? いけるでしょ…?」
「血など……私は、いらない……」
「また、そんなことを……ヴァンパイアが血を口にしないで、どうやって生きていくつもりなの?」
「私は、生きていたくなど……」
「あいかわらず、ね…。だけど、あなたには生きていてもらわなくちゃ困るのよ。あなたはヴァンパイアの正統な血筋……あなたの死は、すなわちヴァンパイアの血族が途絶えるということ……そんなことが、できるわけがないでしょ」
「ヴァンパイアの血族など、私で途絶えてしまえばいい……。こんな忌ま忌ましい血など……」
「ふっ…」と息を吐き、レッドウィングスがグラスを取り上げる。
「あなたって……どうしてそうなの? 自分の運命を受け入れようともしないで……まるで、あなたの母親のよう……」
「私の母のことは言うなっ…!」
テーブルをたたいた拍子にグラスが倒れ、ガラスの破片が砕け散った。
「ふん…もうずいぶんと昔のことなのに、まだふっきれないでいるのね…ブルーアイズ」
「母のことは言うなと言っている!」
「ふふ…母親のことになるとムキになる…かわいいのね、ブルーアイズ」
「……帰れ、今日はもう……」
持っていたグラスを置いて、レッドウィングスがイスを引いた。
「帰るわ…あなたがそれを飲むのも見届けたし…私は、猊下にご報告をしないと…」
「使い魔、ここをかたづけてほしい。私は、眠る…」
部屋を出ようとしていたレッドウィングスがふと顔を向け、
「また…ブルーアイズ…」
と、うっすらと笑みを浮かべた。
「何を…笑う…」
「何も…。また…と言ったのよ。手ぐらい振ってくれないのかしら?」
「ああ…また…」
レッドウィングスに手をあげて応えると、彼女は再び微笑んだ。
「おやすみなさい…ブルーアイズ。眠りをさまたげてごめんなさい…いい夢を…」
「ああ…」
寝台に入り眠りにつこうとする耳に、テーブルの上をかたづけている妖魔の声が聞こえた。
「レッドウィングス様は、1滴も飲まれなかったのですね…」
「1滴も? うん…気のせいだろう? 彼女はグラスを手にしていた…」
「しかし…飲んだ形跡が…」
「気に、するな…ひどく、眠い…かたづけ終わったら、ドレープを下ろしてほしい…ゆっくり、休みたい…」
「承知しました、伯爵。しばらくはここへの出入りを控えます」
「ああ…頼む」
ドレープが下ろされると、視界は暗闇に遮断された……。
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