ブルーヴァンパイアU「蒼き闇の夜想曲」

―1―

 のどの奥がひりひりと干上がっていく。痛みさえ伴うような渇きは、いくら水を飲んでも癒せない。

「水が…いや、ち…血が……血で……のどを……潤したい……」

 私は、何を考えていたのだろう……。気がついたら、夜の闇の中を1人ふらふらとさまよっていた。

 街の灯りが、まぶしい。頭上の街灯に、窓辺からもれ出る電球の明るさに、目が眩むようだ。

 光から逃れるようにして、路地裏の暗がりへと身を寄せる。

「のどが……渇いた……」

 闇にまぎれて心の平穏が得られると、またあのひりつく渇きが襲ってきた。

「そうだ……私はのどが渇いて……そして、血を……」

「血を……」

 口にした自分の言葉のおぞましさに、寒気がした。

「いや…だ…私は……血など、求めない……求め…ない」

 言うそばから、はぁはぁと息づかいが荒くなり、私自身の意思を裏切っていく。

「私は……血など…求め…ない…と……」

 目の前を獲物がよぎった。

 白い首筋に思わず牙を立てると、生暖かい液体が口の中へとしみ入り、からからに渇ききっていたのどをしっとりと潤した。渇きが癒され、体中へと生気がみなぎっていく至福の時……、ふいに「あっ…」と、私は我に返った。

「今、私は、何を、していた……?」

 抱えていた首筋から手を離すと、押しあてていた唇から血が糸を引いて飛び散り、1人の女性が私の足元に崩れ落ちた。

「う、そ……私が……この人を、手にかけたの……私が、この人の、血を、吸ったの……うそ…私が、人間を、狩っただんて……だって、私は、元は人間で……」

 元は……もともとは人間だった私は、今はもう、ヒトではない……。

 私が、この人を、殺した……。横たわる女性を、揺り動かしてみる……ぴくりとも動かない。女性の首筋から血が流れ出て、地面にじわじわと血だまりをつくっていく。

 私は、自分が1人の女性の血を吸い尽くし、殺してしまったという事実を受け止めきれないまま、傍らにぼんやりと立ち尽くしていた。

 

 

「おまえ…! その女を殺したのかっ!」

 唐突に、誰かに叫ばれた。見つかった! 私は、あわてた。今、見つかるわけにはいかない。今見つかれば、私がヴァンパイアだということがばれてしまうにちがいない。

 物陰に身を潜め逃げ切った、そのつもりだった……だが、急に後ろからぐいと手首をつかまれ、路上へ引きずり戻されてしまった。

「おまえが、やったのか…」

 再び、同じ声に聞かれる。

「答えたく…ない…」

「ならば、もう一度聞く。おまえが、狩ったのか?」

「…狩った…?」

「ふん…その言葉に反応するとなると、やはりおまえもヴァンパイアか…」

 一瞬、耳を疑った。

「…も、と、言ったの…?」

「ああ、そうだ。俺は、ヴァンパイアのグレイだ。貴様は、なんと言う?」

「ルキア…」

 半ば反射的に答えて、自分はもうルキアなどという少女ではないのにと思う。

「ルキアだと? それはどういった呼称だ。どのような特徴をとらえている……いや、まさか、貴様は……おまえ、顔を見せてみろ!」

 思わず顔をうつむけると、「見せろと言っている!」と、むりやり顔をあおのかせられた。

 グレイと名乗った男は、私のあごに手をかけて上向かせると、じっと顔をのぞき込んだ。

「やはり…な。おまえ、元からヴァンパイアだったわけではないな。おかしいと思ったのだ……このように浅ましく、人間を狩るなど……これではすぐに俺たちのしわざだとばれてしまう……おまえ、ヒトを狩るのは、初めてなのか?」

 答えずにいると、「まぁ、いい…」と、グレイは薄笑いを浮かべた。

「だが、この質問には答えてもらおうか。おまえをヴァンパイアにしたのは、誰だ?」

 ふいに、あの時の記憶が蘇った。あの時……私を襲おうとした女ヴァンパイアから、私を守ろうとして、逆にはめられ、私の血を吸ってしまった彼。蒼い、恐ろしいまでに美しい蒼い瞳を持った、青銀の髪のヴァンパイア。『おまえの前ではヴァンパイアではいたくない』と言い、『愛してる』と伝えてくれた彼は、『おまえを、自らの手で狩ったからには、おまえのそばにはいられない』と、私の前から去った……別れぎわ、闇の中に煌いていた哀しげな蒼い瞳が、今も忘れられない……。

「蒼い、瞳の……」

 呟くと、グレイは「蒼い瞳だと!?」と、過剰な反応を見せた。

「蒼い瞳…まさか、ブルーアイズ…奴なのか!?」

「…あなた、彼を知ってるの?」

 

 

「知ってるか、だと? 俺が知らないわけがなかろう。俺は、おまえのような卑しい元人間などとはちがって、由緒正しいヴァンパイアの血族なんだ……その俺が、奴を知らないわけがなかろう。ヴァンパイアのもっとも正当な血筋をくむ、あの蒼き瞳の奴のことを……」

「彼を…、彼を知ってるのなら、会わせて! ねぇ、彼はどこにいるの?」

 グレイの服に取りすがるのを、「何を、バカなっ…!」と、手を払いのけられた。

「だが…、いいことを聞いた……あのブルーアイズが、猊下の禁忌を破り、血の洗礼を授けていたとはな……しかも、貴様のようななんの変哲もない、ただの少女ごときに……」

「血の洗礼って……禁忌を破ったって、どういうこと?」

 たずねると、腕を組んでうすら笑っていたグレイが、さらに顔をゆがませて、「ふっ…教えてほしいか?」と、せせら笑った。

「血の洗礼とは、獲物を狩り殺さずに生かすこと……すなわち一滴残さず飲み干せば死せるはずの魂を、わざと飲み残すことで救ってやり、我らヴァンパイアの血族として迎えてやることだ……。しかし今の現世に、我らの血族として迎え入れる程の者がいるとは到底思えない……。それに、純粋なヴァンパイアの血統を守るためにと、ヒトを狩る時は、血が渇れるまで吸い尽くし獲物を殺すよう、我らは猊下より仰せつかっているのだ……。そう、かつては行われていた血の洗礼は、この現世の人間どもには授ける価値もないといった理由と、猊下の絶対的な命とによって、今は禁忌とされているのだ……。それを破ったからには、ブルーアイズ、奴は罰をまぬがれまい……」

「罰って……そんな! そんな…私のせいで彼が…ねぇ、お願い! 私を彼のところに連れていって! ねぇお願いっ…!」

「たわけたことを! おまえのように汚らわしい元人間などを魔界に連れていけるわけがなかろう? それより貴様…自分の心配でもすることだな。魔界の血を乱す者である貴様には、いずれ猊下より抹殺の命が下るはずだ」

「抹殺……かまわないわ。私は別に殺されてもいい……だけど彼に、彼に罰を与えたりするのはやめて…ねぇ、お願いだから…」

「うるさいっ! 今こそ俺が奴に復讐できるチャンスなんだ……。奴に……あの美しい蒼き瞳も、蒼みがかって輝く銀の髪も、そして蒼く澄む闇のような漆黒の翼もっ……!」

 グレイは忌々しげに言葉を切って、ばさりと翼をひらいた。グレイの薄暗い灰色の翼は闇に同化することはあっても、彼の漆黒の翼のように闇に鮮やかに映えることはなかった。

「……全て、俺が得ようとして、得られなかったもの! この灰色の瞳も、灰の髪も、この灰みを帯びた翼でさえ……全て、奴の美しさには及ばない……全てだ……全て! ……しかし、この憎しみを奴にぶつけられるまたとない機会がやってきたのだ……奴に思い知らせてやる……俺の憎しみを、俺の悔しさを……!」

 グレイは、ねじの切れた人形のように、高い笑い声をあげ続けている。

「そんな…、そんなただの逆恨みで、彼を陥れようだなんて…」

「うるさいっ、黙れ!! 俺は、奴の罪を猊下に密告してやるんだ。それで、奴がどんな罰を受けることになるのか……ふっ、見ものだな…」

「やめて! 彼に罰だなんて……やめて!」

 空へ飛び立ちかけるグレイの腕を引く。

「さわるなっ、汚らわしい!」

グレイは叫んで、私の手を振りほどき、「貴様こそ、抹殺の時を首でも洗って待つがいい!」そう言い放つと、彼方へと飛び去ってしまった。

 

 

「彼に、罰だなんて……彼に……ラズルに……」ラズル……私が付けた彼の名前……吸い込まれるような蒼い瞳が、まるで幸福を呼ぶという青い石、ラピスラズリのようだったから……。

「ラズル……あなたに、会いたい……」

 空を見上げるが、グレイがどこへ向かったのか検討もつかなかった。

 仕方なくため息を吐き、うなだれると、足元に私が殺した女性の姿があった。

「なんてひどいことを……この人をせめて、私の手で葬ってあげないと……」

 女性の体を抱えトンと地面を蹴ると、背中からラズルの瞳のように蒼く透き通った翼が現われた。

「ラズルがくれた、蒼い翼…」

 羽ばたいて館へと帰る。私がラズルに血を吸われてからヴァンパイアとして目覚めるまで永い時が過ぎたこともあって、館のまわりにはうっそうと背の高い草が生い茂り、人々の侵入を拒んでいた。かつてラズルが棲んでいた城と同じだった。城は深い森に阻まれて、人たちを寄せつけなかった。私は近づいてはならないというその城へ入り、ラズルと出逢った。今はもうその城はどこにもないけれど、私はあの日のことを決して後悔してはいない……。

 館の裏手にまわり、荒れ果てて土が露になった一隅へ、女性の体を横たえる。

「ごめんなさい……許して……」

 体の上にそっと土をかける。やがてこの女性の体は土に還り、誰からも感知されなくなってしまうだろう……この人にも、幸せな生活があったかもしれないのに……。

 涙がこぼれる。私は、犯してはいけない罪を犯した……もうこの館から、私が出ることはないだろう。私は館に引きこもり、朽ちて果てるのを待とう……『私とともに、いてくれるか? たとえ私が、朽ちて果てることになっても……』いつかのラズルの言葉が頭をよぎった。「このまま死ぬのは恐くない……だけど、もう一度ラズル、あなたに会いたかった……」

 館の中に戻り、重くドレープのたれ下がったベッドに身を沈める。私は、もう目覚めてはならない……このまま永遠の眠りにつければいいと、まぶたを閉じる。もうラズルに会うこともないのかもしれない……こみ上げてくる気もちを振り払い、少しずつ体を包むまどろみに身をゆだねた……。

                        

  

 

 

 

 

 

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