ブルーヴァンパイア寓話U「猊下の憂うつの組曲」

 

堕天したばかりの猊下は、ひどく不機嫌だった。

魔界の住人たちが新しい魔王をひとめ見ようとひっきりなしに謁見に訪れ、体が休まるひまもなかったのだ。

まして、気をつかうなどという感情にはきわめてとぼしい魔ものたちは、猊下の姿、形、服装に至るまでことこまかく値踏みをし、ありとあらゆる批判をした。

猊下も、天界から堕天し魔王となった自分がものめずらしいだろうことは、ある程度はわかっていた。

わかってはいたが、体を休めるひまもなく批判ばかりを聞かされていては、猊下にもふつふつと次第にストレスがたまってくるのも仕方のないことだった。

 

それは、そんなある朝のこと……。

目覚めたばかりの猊下には、何人もの使い魔たちがつき従い、いろいろと世話を焼いていた。

「猊下? 今日は何をお召しになりますか? こちらなどどうですか?」

メイド服を着たうさぎ耳の使い魔が猊下に服をあてがった。

「いいえ、猊下。こちらの方がお似合いです。今日はこちらをお召しになった方がよろしいかと」

その横からやっぱりメイド服を着たねこ耳の使い魔が服を差し出した。

「猊下、それよりこちらの服はいかがですか? きっとお似合いになると思いますが」

うさぎ耳とねこ耳の使い魔を押しのけ、今度は翼を持ったメイド服が猊下の肩に服を合わせた。

使い魔たちは互いにまったく趣味のちがった服を持ったまま、「猊下、どちらになさいますか?」「今日は、こちらに…」「いいえ、絶対にこちらに…」と、キャアキャアと騒ぎ合いながら、長身の猊下を見上げてたずねた。

「…どれでもよい…」

猊下がうるさげに言った。

だが、使い魔たちはうるささに気づくどころか、「では、こちらの服を…」「いいえ、こちらのを…」と、服の引っぱり合いまで始め、よけいに騒々しくなった。

猊下の耳に聞こえるのは、だんだんとキーンという金属音ばかりになってきていた。

たまりにたまったストレスが、もう胸のあたりまであがってきていた。

だから、後ろで髪をおとなしくといていた別の使い魔が、くんっと髪を引いた途端に、猊下はぶち切れた。

「……いいかげんにしろっ!」

猊下が怒鳴り声を浴びせると、使い魔たちはぴたりと黙り込み、部屋の中はしんと静まり返った。

「いいか! これからは服は自分で選ぶ! わかったか!」

さらに大きな声で怒鳴る猊下に使い魔たちはすくみ上がり、応えることすらできずにがたがたと震えた。

「わかったのかと聞いている! おまえたちは明日からもう来なくてよい!」

「は…はい!」

使い魔たちはあわてたように返事をすると、服を抱えたまま部屋を飛び出していった。

「ふん…」

使い魔たちがすべていなくなってしまうと、猊下は腕組みをし怒りに上がった肩をふぅっと下げた。

「……服くらい、私でも選べる!」

まだ怒りのおさまらない猊下は、誰にともなく感情をぶつけながら衣裳部屋を引きあけた。

猊下の部屋にある衣裳は使い魔たちが用意したものとはちがい、天界からそのまま持ってきたものばかりだった。

「どれを着るか…」

服をながめながら、だが猊下はどうでもいい気になってきた。どうせ何を着ても謁見に訪れる魔ものたちは文句を言うのだ。猊下は目に入った服をつかみ、おもむろに袖を通した。

 

 

「げ…猊下…」

朝の謁見に立ち会うために控えていた妖魔は、入ってきた猊下の服装に唖然とした。

「そ…その衣裳は……」

そこまで口にしたところで、ぎろりと猊下ににらまれた。

「何か、言いたいことでもあるのか…」

「い…いえ!」

と、妖魔は急いで手を振った。猊下があまりに機嫌が悪そうで、服のことなど指摘したら殺されそうな気がしたのだ。

妖魔は猊下を見ないようにしながら、今日の謁見者を読み上げた。

「よい…順に通せ」

「はっ…」

……その日訪れた謁見者は数十人、猊下の衣裳の話は魔界の住人たちの口から口へと、その日のうちに魔界じゅうへと広まってしまった。

その翌日から、ぱたりと謁見者の数が減った。

「…今日は、あまり訪れるものがないな…」

1人が帰りその次の者が来るまで間があき、猊下はふともらした。

「猊下の服装のせいです…」

つい口をすべらせてしまい、妖魔はあわてて口をふさいだ。

だが、もう遅かった。

「私の服がどうしたというのだ…」

猊下につめ寄られた妖魔は、仕方なく口を割った。

「……その服です。女もののように艶やかで真っ白なその服が、訪問者を遠ざけているのです。天界の色そのままにあまりに白いそのお衣裳は、ここでは異質です……」

妖魔は話し終わると、「そ…それでは、私はこれで…」と、そそくさと謁見の間から逃げ去った。

「異質だと…? この服のどこがいけないんだ…」

言いながら猊下はたっぷりとレースの付いた服のえり元を引っぱった。

「……恐れながら、猊下」と、玉座の背後に影のように立っていた猊下付きの爺がふいに口をひらいた。

「その服は、いけません。魔界には、その純白はそぐいません。使い魔たちがふさわしいものを選んでいたのに、なぜ断ってしまわれたのですか?」

とがめるような言い方に、猊下はむっとした。

「うるさい…黙れ。私の選ぶ服がなぜいけないんだ」

「魔界では、黒が定番だからです。白は天界の色です」

「私は天界から堕天したのだ。天界のものを持っていて何が悪い」

「しかし、猊下。ここは、魔界です。天界ではございません」

ああ言えばこう言う年老いた爺に、猊下は「……ならばっ!」と、いきり立った。

「これで、よいか!」

いきなりの猊下の行動に爺はうろたえ、「お、おやめください!」と、声を張り上げた。

「ふん…私の服が気に入らないのなら、これで満足だろう!」

服を脱ぎ捨て素っ裸になった猊下が、どかりと玉座に腰を下ろし、足を組んだ。

「…猊下…そのようなかっこうで、謁見をされるのですか?」

「する…私は、裸で過ごすことに決めた」

あきれたようにたずねる爺に、猊下がむきになって言う。

「せめて、下だけでも…」

爺が猊下の頑固さにいいかげん困り果てる。

「はかぬ…」

「はいてください! そのようなかっこうで謁見をされる王などおりませぬ!」

「いやだ…服など着ない…」

「そんな子どものようなことを言っておられずに…さぁ」

と、爺が猊下の足に脱いだものをはかせようとした時だった。

謁見の案内役が逃げてしまい待ちくたびれた謁見者のひとりが「まだですか?」と、入ってきてしまった。

それは、あまりに間が悪かった。

「な…なにをっ!」

裏返った声で、その妖魔が叫んだ。

妖魔にはそういうことをしているようにしか見えないシチュエーションだった。

「ま、待て!」

呼び止めた猊下の声も聞かず、妖魔は走っていってしまった。

半日もたたずにその話は魔界を駆けめぐった。

「新しい魔王には、妙な趣味がある」

「新魔王は、かなり年上好きらしい」

「ご老体も守備範囲らしい」

「さすが魔王、惚れる相手がちがう」

噂は、噂を呼び、「魔王は、爺とSMをしていた」という根も葉もないものまで飛び交って、ついには収集がつかなくなってしまった。

 

「猊下…これにこりたら、服は私の選んだものをお召しになってくださいますね」

爺に言われ、猊下は「むぅ…っ」と、うなった。

「私の言うことをお聞きになるのなら、この噂は私が鎮めてさし上げます」

「……わかった……」

これ以降、猊下は噂には敏感になった。

ブルーアイズとの噂をむやみに気にするのも、そのせい……かも、しれない……。

 

 

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