―6―
「……どうやら、気づかれてしまったようね、ブルーアイズ様?」
「おま…え…は……夢魔……」
彼が「夢魔」と呼んだ魔ものは、鱗粉をまき散らす黒地に極彩色の煌めきを放つ蝶の羽を持ち、頭には棘付きの赤いバラを巻きつけた銀の角を2本生やしていた。
「そう、私は、夢魔。…だけど、こんなに早く正体がバレてしまうなんて、ね…」
「夢魔って……」
「あらあら、種族名じゃピンと来ないようね……なら人間のように、呼称で自己紹介をしようかしら? 私は、夢魔のブラッディローズ……よろしくね、ルキア」
見つめていると今にも取り込まれそうな、キラキラと虹色に輝く目をしている。
「…ねぇ? そのボトルに混ぜた夢の粉で、ルキア、あなたにも素敵な悪夢を見せてあげられたのに…やはりドラキュラ伯爵ともあろうお方…甘く見てたようね」
「夢の粉って…それで、ラズルを…」
「そうよ…ブルーアイズ様に最初に夢の粉を飲ませて操り、あなたにもすすめて飲ませることで、最終的にはお互いに殺し合いをさせるはずだった……うまくいけば、最高に残酷な悪夢が見れたのにね?」
「恐ろしいことを……」
「んふふ…っと、知ってる? まだ私の術は解けてはいないのよ。ブルーアイズ様は、まだ私の術中にいるってこと……そう簡単に、私の紡ぐ夢からは醒められなくてよ?」
とっさに逃げようとしたのを、すぐさま両手首をつかまれ空中へ吊るし上げられる。
「そうはいかなくてよ…。さ…ブルーアイズ様? 早くとどめを…」
「……いやっ! ラズルに罪を犯させたりなんかしない!」
反動をつけて夢魔を後ろ足で蹴り、窓ガラスに体ごとつっ込んで外へ飛び出した。
ありったけの力で、懸命に翼を羽ばたかせた。息が切れる程羽ばたいて羽ばいて、できるだけ遠くへ飛んだはずだった。
なのに、
「もう…逃がさないと言ったでしょ?」
夢魔のブラッディローズは、そんな私の前に不意にまた出現した。
それに、夢魔に気を取られている背後で、
「……どうやら、手間取っているようね?」別の声がして頭を振り返らせると、毒々しいまでに赤い翼を見せつけてレッドウィングス……彼女がいた。
「しくじったようね…」
冷ややかな口調に、ブラッディローズが鋭い眼差しでキッとレッドウィングスをにらんだ。
「相手は、ドラキュラ伯爵……あなたの飲ませたたった一口の夢の粉では、操り切るなんて到底無理だわ…」
「自分の失態を、私のせいにするつもりなのかしら…?」
「失態……ですって? 悪いけどまだ失態と決まったわけじゃなくてよ。だって、ブルーアイズ様の術はまだ解けてはいないんですもの…」
「…だったら、早く、この女の始末をつけて…」
「言われなくても……! さぁ、ブルーアイズ様、その子を殺して……そろそろ夢から醒めましょう?」
唄うように夢魔が語りかけると、飛んで来ていた彼が、「ああ…」と、抑揚のない返事をした。
「私を…殺すの…?」
「殺す……」
「そう……」
「殺…す…」
「いいわ…」
「いや殺……殺さ……」
「早くっ! ブルーアイズ様っ!」
夢魔の声に弾かれるように、彼が剣をかまえた。剣は私を刺すと思った。
だけど、
「殺さない……っ!」
ラズルが声を振り絞り剣を持ち変えたかと思うと、いきなり自分の胸へ刃先をつき刺した。血が噴き出し、目の前が真っ赤に染まった。
一瞬、何が起こったのかわからなかった。
「キャーアァッ……!」
レッドウィングスの発した金切り声に目をやると、暗闇をまっさかさまに落ちていくラズルが映った。月光に、胸につき刺さった何かが反射して輝きを放っている。あれは、剣……? 鮮血が空中を幾筋も走っていく。あれは、彼からの流血……?
「いやぁぁーっ……!」
のどを駆け上がった悲鳴に現実に返され、夢中で落下する彼を追いかけた。でも一足ちがいで間に合わずに、彼の体は目前でレッドウィングスの腕に抱き上げられた。
剣がつき立ったままの彼の胸からは血があふれ続け、抱いている彼女の腕までも血まみれにした。
血に濡れてすべり落ちかける彼の体を腕に抱き直し、レッドウィングスが私をじっと見つめた。それから、眉間にしわを寄せ嫌悪感を露にして、
「ルキア……あなたのせいよ……」
そう、口にした。
「私の…せい…」
「そうよ、全てあなたのせい…。彼は、あなたと出会ってから酷い目にばかり合ってる。あなたが全ての災いの元……あなたなんか、二度と彼に会う資格なんかないんだわ」
「二度と……」
何も、言い返せなかった。
レッドウィングスは黙り込む私を一瞥し、
「……ブラッディローズ!」と、上空の夢魔を呼びつけた。
「何…?」
「今すぐ、彼の術を解いて!」
「解いてって……いくらあなたも加担してたとは言え、この計画は猊下の勅命……あなたの一存なんかで解くわけにいかないわ」
「解きなさいと言ってるのよ! 今、術を解かないと、ブルーアイズは死んでしまうわ! 彼が死ぬようなことを、猊下が望むはずないのよっ! 術を、解きなさいっ!」
レッドウィングスの気迫に圧倒され、ブラッディローズは羽から鱗粉をつまみ取ると、さも不機嫌そうに彼の口の中へこじ入れた。
「これで、術は解けるわ。でも、計画の途中放棄は、レッドウィングスあなたに全部かぶってもらってよ?」
「かまわないわ……」
レッドウィングスは静かに答えて空へと舞い上がった。
飛んでいく彼女を無言で見つめていたのをふと「レッドウィングス……」と、呼びかけた。
上昇していた彼女はぴたりと止まって、私を見下ろした。
「彼を……きっと、助けて……」
「……。あなたに言われなくても、絶対に助けるわ。たとえ私の血の全てをあげたって、きっと……」
「……お願い……」
彼を抱いたレッドウィングスが、闇の中に遠く小さくなって消え去ってしまっても、ぼんやりと空を見続けていた。
「ラズル……絶対に、生きて……」
青白くも見える月から、冷え冷えとした月光が降り注いでくる。私の命も、この月明かりに溶けてなくなってしまえばいい。そしてもし私の命で代えられるのなら、私の命を彼に与えて彼を救ってほしい。
神よ、どうか……。
「すでに魔ものとなってしまった罪深き身でありながら、神に祈ります……どうか、彼を助けて……ラズルを救って……。そのためになら、私の命も捧げます……だから、どうか……」
彼を、助けて……。
どうか、神よ……。
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